回想録
2011/08/19/23:05:04(Fri)
東京都町田市広袴のあたりに【恭栄】と言うラーメン屋があった。7~8年前に閉店してしまったが、
この店こそ、杉田時代の【吉村家】に次ぐ私のリピート数トップクラスの店なのだ。
【吉村家】は週に3~5回を8年間。
【恭栄】も同じようなペースで5年間ほど通ったでしょうかね。
当時はラーメンを喰うたびに記録をする習慣が無かったので、正確な数字はわからないが・・・
その頃の鶴川 (最寄駅が小田急線の鶴川だったのでそう呼んだ) は、ラーメンの隠れ里であった。
駅のそばには【さぶのや】、鶴川街道に沿って北上すると【ラーメンショップ】、尾道ラーメンの【正ちゃん】、【恭栄】、【横濱家】、牛骨ラーメンの【つばさ屋】。
ちょっと横にそれると【みそ屋】、【辛子堂】、中華料理屋っぽかった栗平の【大勝軒】など、ラヲタにとっては天国のような土地だった。
そんな中でも【恭栄】に足繁く通ったのにはワケがある。
当時としても安い価格設定で、基本のラーメンが500円だった。
他のラーメン屋は600円が中心価格だったと思う。
御主人夫妻はとても生真面目そうで物静か。
接客態度にはベタ着くような嫌味はなく、必要以上のラーメン屋との接触を嫌う私にとっては好都合であったし、かと言って、決して無愛想ではなかった。
店構えに華やかさはないが、店内のカウンターやステンレスの調理台および冷蔵庫はいつもピカピカに磨きあげられ、清潔感にあふれていた。
客席はカウンターのみで、十数人で満席となる程度だった。
調理場には大型の寸胴が二基。
メインのダシ汁用と予備用であろうと思う。
予備の寸胴の蓋がわずかにずらされ、注文が入るとソコから吹き出す蒸気の上にドンブリを伏せてあたためていた。
元ダレも同じく蓋の上に乗せて常にあためられていた。
ラーメンは独特で、茶濁した濃いめの色合いのスープは、豚骨を中心とし、鶏ガラ、野菜を加えたものであったろうと今では推測する。
魚系の素材は感じられなかった。
使っていたとしても、ごく僅かで前面に突出するような使い方ではなかったのだろう。
スープ表面には骨髄より滲出したと思われる脂が浮き、やや濃厚な味わいを演出していた。
ほぼスレートの中太麺は、固めに茹で上げられ、麺量は今の感覚からするとやや少なめであろう。
何年も通ったのに、製麺所は記憶していない。
あるいは、麺箱が見えない店の造りだったのか?
具は、小振りだが厚めに切られたチャーシュウが二枚。
水煮に近い薄味だが、サクサクのメンマが数本。
海苔は有ったような無かったような・・・・・記憶がアイマイ。
ほかに輪切りネギ。
ドンブリは白い切り立ち型で、店名などの装飾が一切無いシンプルなもの。
この店の雰囲気には、とてもよく合った潔さだった。
当時、あえて近いモノを探すとすれば【天金】系の旭川ラーメンに似ていたかもしれない。
麺はまるで違うのでスープだけね。
あるいは、その頃、品川区の京急大森海岸に【恭華】という旭川ラーメン屋が在ったので、その店名から来る共通イメージによる思い込みかもしれないが。
ただ、【恭栄】の店名のウチひと文字は、店内に張られた食品衛生管理者および調理師免許に書かれた奥様の名前の一文字だったように記憶している。
スポーツ界には「記録に残る選手」と、「記憶に残る選手」と言う言葉がある。
私にとってこの【恭栄】は、まさに記憶に残るラーメン店であった。
閉店してだいぶ経つにもかかわらず、私は御夫妻がまたどこかでラーメン屋をやっているのではないかと期待して、日々新しいラーメン屋情報に耳をそば立てているのである。
そんな時、オイさんのブログを見ていて驚いた!
藤沢の遠藤のあたりに (実際は茅ヶ崎市だけど) 出来た店のラーメンが私の記憶している【恭栄】のラーメンによく似ているのだ。
ブログのコメントにも、私の心の琴線に触れてくる部分が多々ある。
これは行くっきゃないでしょう!!
オイさんのブログはコチラ
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